<< エキストラしてきました。 ダイエットとか今言っているのが... >>

テレビゲームの外延にて

こういうこと考えながらゲームをやるのが楽しいか……と問われれば。
ソレはそれで結構楽しいもんなのである。

「ひぐらしのなく頃に」っていうゲームをやってた。
テキストを画像と音楽・SEと一緒に見せる形式で、
アドベンチャーゲームからサウンドノベル・ビジュアルノベルの系譜に連なる作品なんだと思う。
ただ、これがビデオゲームなのかと聞かれると、非常に怪しい。

選択肢がないのである。
途中選択肢めいたものもあるにはあるが、それはほとんど意味のない選択肢。

アドベンチャーゲームは「正解」とされる選択肢を推論して選ぶことがそのゲーム性である。
選択肢を間違えるとどうなるか。キャラクターの死などの形でゲームオーバーを迎えるか、ゲームが進行しない。
あらかじめ用意された一つの結末に向かうことが、そのゲームの目的である。
たとえば、推理小説のようなシナリオであれば犯人を突き止めることが目的だったりする。

サウンドノベルはアドベンチャーゲームに良く似た形式のゲームではあるが
大きく違うことが一つある選択肢には基本的に間違いと言うものはない。
選択によって物語りは大きく変わり、結末も変わる。
選択によって主人公なりが不幸な結末を迎えることもあるが、別にそれが間違いではない。
それは選択肢の積み重ねによる結果であり、ひとつの「エンディング」である。

アドベンチャーゲームとかノベルゲームと呼ばれるものは、
確かにアクションゲームやシミュレーションゲームに比べると
プレイヤーの意思が介在する部分と言うのは少ないと言っていい。
けれどプレイヤーの意思が選択肢を通じてゲームに介入していることは間違いない。

翻って考えると、「ひぐらし」という作品がゲームと言うべきかどうかは非常に怪しい。
画面に表示される情報について、プレイヤーは一切介入できないのであるから。
せいぜいが文字送りの速度を、クリックによって調節できることくらいである。

ゲームデザイナーのグレッグ・コスティキャン氏の定義においてゲームとは
「充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す」ものであるとされている。
松田道弘はその著書『トランプの楽しみ』で、「遊戯としてのゲーム」の定義として「勝敗を争う事で楽しむ遊戯」という定義を採用している。
いずれの定義においても「ひぐらし」はパッケージされたゲームとはいえない。
しかし製作者はこれをゲームと言う。いかなる意味においてゲームなのだろうか?

「ひぐらし」がパッケージングされたゲームでないことは言を俟たないであろう。
しかし「ひぐらし」の販売形態はゲーム的であるといえるのではないかと思われる。
「ひぐらし」は昭和50年代後半の猟奇殺人を描いた作品なのであるが、
猟奇殺人の犯人を明かさないもの、つまり謎を提示するディスクと
その殺人の裏側を提示するもの、つまり謎を解決するディスクが別々に販売される。

「プレイヤー」が楽しむ余地はその別々に発表されるストーリーの狭間にある。
要するに推理小説を途中で読むのを中断して、犯人が誰で、いかなるトリックがあるのか思索すること
それを「ゲーム」であると製作者は言っているのだ。
それがゲームであるかは検討を要するところではあるが、
たとえば週間少年マガジン紙上で「金田一少年の事件簿」が連載されていたとき、
出題編と解答編に分けられており、読者の推理を登校させるイベントというのは一つのゲームだったろうと思う。

要するに「ひぐらし」と言う作品はそのようなゲーム性を持つ作品なのだ。
ただ、「ひぐらし」という作品をゲームとして楽しめる人間は限られるように思う。
推理を検討して、議論しあう時間と空間はごく一時期にしか存在しなかったように思われる。

また「ひぐらし」という作品がどのような作品であるか、
アニメ化されたり漫画化されたりしたことで知ってしまっている。
もちろんそれらのメディアでこの作品を見た際もゲームとして捉えることは可能ではある。
出題編だけを読むなり見るなりして、思索をしてから解答編を見ながら答えあわせをすればいい。
ただ、結局それは非常に禁欲的な楽しみ方。
これをゲームとして楽しむことは、気負いと真剣さが必要である。

まぁ、それはそれで、個人的には面白いゲーム――知的遊戯なのだろうと思うけど。

以下。プレイ後の感想。

ご都合主義の塊に、理由をもたせる仕組み。
ご都合主義は駄目だけど、確かに一つの爽快感はある。
ストーリーのカタルシスを生み出すために丹念に抑圧を重ねていくと言うのが上手。

落差
深い穴があっても、前に高い丘があれば見えないってこと。
そして、高い丘があればあるほど、穴はその深さを増したことになる。
[PR]
by tomo1y | 2006-09-09 19:25 | 日々思うこと
<< エキストラしてきました。 ダイエットとか今言っているのが... >>