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「教育って」様へのご返事(その二)

再度お答えしてみます。「教育って」様の発言の引用部は適宜改行しております。ご容赦ください。

>「教育委員会の内心の自由を強制」 と「教師の思想信条に基づく意見を表明」 と
>生徒にとって、どちらがより大きな影響がある思想の強制であるかという点については、
>見解が異なっているという認識でよいでしょうか。

そうご理解いただいてかまいません。私教師の思想信条が生徒に及ぼす影響のほうが恐ろしいです
まったくの個人的見解なのですが、私の経験として教育委員会がどうこうだから思想を……ということより、むしろ教師がある思想を持って教育をしていることのほうが、やっぱり生徒にとっては影響が大きいように思うのです。

>教師が、懲罰を持って、生徒に日の丸・君が代の掲揚・斉唱を強制することよりも、
>教師が、懲罰を持って、生徒に日の丸・君が代の掲揚・斉唱の拒否を強制することの方が、
>問題であるとお考えでしょうか。

そういう風に問われると、どちらの強制も同様に問題があるのでしょうね。それは理解ができます。
ただ、私の個人的信条の問題としては、拒否を強制することの方が問題だと思っています。
これは私が国旗とか国家を大切にすべきだという思考を持っているからでもありますし、
根本的に否定的見解を持って物事を眺めるという姿勢が好きではないからでもあります。

>独裁国家・一党独裁的国家の現実を見ても、国が押しつける「思想」の中でも、特に、
>「国」が統治者や現政権を国民の上位に置き、「敬う」「愛する」「尊重する」という価値観を強制することは、
>国民による国家運営者、現政権への批判をタブーにして、民主主義の根幹を揺るがすことにつながるものと感じます。

おっしゃられるご意見は理解ができるつもりでいます。
ただ「国」というものについての見方が私と「教育って」様で異なる部分があるのかなとも思います。
独裁と愛国心という二つのものの間には、確かにこれまでの歴史から考えてつながりのようなものがあるというのは理解できるのですが、私の個人的な意見としては必ずしもつながるものではないと思っているのです。
個人的願望として、国を愛するというところに立脚して政策などが論じられて欲しいと思っているというだけなのかもしれませんけれど。ここは正直に言って個人的意見の立脚点が違うのかなと思っております。

>どんな思想の強制もお断りですが、

正直に言って私はそう考えていません。
「常識」というのは非常にもろいもので、「命を大切にすべき」ということにしたところで、
状況によってあやふやになってしまうようなものです。
だからこそ、コンセンサスの取れるものについては押し付けてもいいのだと思います。
命を大切にすべきということは、普遍の公理ではないということはわかっているのですが、
だからこそ、根っこのところで押し付けちゃっていいのではないかと思うのです。

>そのように現政権の解釈次第で内容が変わってしまうからこそ、
>「一見、絶対的普遍的な価値観」であっても
>公権力は強制すべきではないと 思うのです。

公権力というのは、結局のところ「強制力」にあるのではないかなぁと思います。
ただ、その普遍的「らしい」価値観を選び取るのは選挙などの、民主的手法によるべきでしょうね。
で、民主的手法に従っている限りは、自分の意見と異なってても、その意見に従うべきというのが民主主義ではないかと思います。みんなが殺人は罪だと民主的に合意したのであれば、私が殺人もありえると思っていても、殺人は罪だという意見に服従すべきではないでしょうか。
もちろんその強制が恣意的なものであるのは大いに問題だと思うのですが。
ちょっとお答えになってない気もしますが。

話はそれますが、個人的には先の戦争の際に、一般市民は悪くなくて独裁と指導部が悪い……という見方は個人的には好きではありません。どの程度民主的であったかはわかりませんが、ナチスはある段階までは合法的に権力を獲得しましたし、日本にあっても戦争に向かっていく空気を作り出したのは一握りの人の話ではないと思います。戦前よりより民主的になったはずの今の日本で、もしも独裁を許すんであれば、それはそれで国民全員が責めを負うべきことかなぁとか、ふと思ってます。

>より大きな権力である「掣肘する機関」に対する、
>「国民の思想の自由を侵すな」というモラルの要求にも向けることは、
>より大きく国民の利益となるのではないでしょうか。

これについては同意します。
教育委員会には教育委員会の守るべきモラルがあるでしょう。
ただ、このモラルを守らせるのが裁判なのかどうかというとちょっと考えるのです。
もちろん裁判という手段に訴えることは国民の権利なんですが、
もっとも根本的に行政とか法律を変える手段というのは、民主主義においては選挙です。

役所の人間がこういうこと言うと嫌われますが、民主主義の社会で最終的な意思の決定者と責任者は住民です。教育委員会のモラルを要求することは、第一義的には選挙によって行われるべきことではないのかなと思います。個人的には教育長なりは公選制でもいいと思いますが……これは話の本筋に関係ないですね。
上にも書きましたが、結局住民なり国民なりがそういう人を選んでしまっています。それに反対するには、その人を選ばないという行動を起こすべきだし、その人が選ばれないようにより良い候補者を擁立するとか、その人を説得できるだけの何らかの活動を行うべきであろうと思います。

……正直に言えば、私が教師をなんとなく嫌いだから、こういうことを言っている気もします。
立派な先生がおられることも知ってはいるのですけれどね。
なんというか、自分たちが未来の有権者を育てる仕事をしていながら、
右傾化するとか、国家を愛することが=独裁という風に考える教師のスタンスが疑問なのです。
「俺の生徒だったら、国を愛するということがどういうことかきちんと判断できる」
くらいの事を先生に言ってほしいというように思うのですよね。

国を愛することを教育することと、右傾化とか独裁化とかってことは別に同義ではないはずなんですが、それをあたかも同一の事であるかのように喧伝するだけで、具体的にどういう国の愛し方が国をよりよくしていくものなのかというビジョンを示してくれない教師の人たちが(もちろん一部だとは思いますが)私は本当に理解できないのですよね。

私と「教育って」さんの間には、ある程度共有できる考えというのが何点かあります。
で、いくつかが違っているわけですが、それはそれでいいんだろうと思います。
というか、一緒であるほうが気持ち悪いですしね。

※労働三権について
私達公務員は多くの場合日本国国民であるわけですが、憲法に保障された権利の一部を制限されています。その最たるものが「労働三権」ということになります。
憲法28条には勤労者(つまり賃金労働者)に対して団結権・団体交渉権・団体行動権(争議権……いわゆるストライキの権利)が認められているのですが、公務員のほとんどがストライキをすることはできないとされています。要するに人権として認められているものの一部が制限されているわけです。
警察や消防、自衛隊などの職場にいたっては労働三権すべてが認められていません。
これ自体はある程度合理性があると思います。

他の人権についても、状況に応じて制限されることはありうることだと私は思います。
たとえば言論の自由といっても人を誹謗中傷することは許されませんし、プライバシーの問題もありますよね。人権というのは無制限に保障されるものではないでしょうね。

※無謬性について
行政は間違いを犯さないという、行政の面子にかかわる話……なんですが。
正直私自身理解ができていません。

==========以下コメントについて===========
正直にもう一つ言うと。長いです!挫折しそうです(笑)
というのは冗談として、なるべく簡潔に。

○教育委員会について
わかりにくいよといわれればそれまでなのですが、教育委員会は教育行政をつかさどる部署であって、「教育機関でも教育者でもない」というのが私の理解ですから。そして教育委員会は教員に対して指導助言と命令監督を行う組織ですので、細かく指導や命令があるというのは、当然といえば当然ではないかと考えています。(国旗国歌の指導より力を入れるべきことはあるでしょうけれど)

最近のいじめの問題とか履修の問題とかはまた別の話(重なる部分がないとは言いませんが)かなと。特に履修の話はどちらかというと現場で行われていることを「見逃して」いたんだと思います。恐らく意図的に。これはこれで話がなりそうなので割愛します。

>本音のところは、
>国家・国旗をないがしろにする教師は「非愛国者」であるから嫌いで、
>日の丸・君が代を強制する教育委員会は「愛国者」であるから好き、
>というような面もあるのでしょうか。

書いてませんでしたでしょうか。この問いに対する答えは肯定です。
「否定的な見解から物事を見るのは嫌い」ですし。

>思想を強制しても良い場合があることと、
>憲法の思想の自由の不可侵についての兼ね合いは、
>どのようにお考えでしょうか。

とりあえず一点はっきりさせておきます。国旗・国歌を「強制」する必要があるとは思ってませんので。それはさておき。「思想の自由は犯すべからざるものである」というのは一つの思想に基づくものだと思います。ちょっとずるい言い方ですが。ありとあらゆる意見とか思想というのは、誰かに強制することを望むものだとおもっているのが私の根っこにあるので。
思想の自由が不可侵たりえるのは、思想を持つ人が自由な発想をできるように教育をおこなうことと。思想を持つ人が自由であると能動的に自覚するからだと思います。

○思想そのものの強制の是非について
「そんなことはできない」というのが私のスタンスです。非に近いのかな?
或る特定の入力を行っても、それに対する出力は千差万別ですから。現実的にできないと(確かに「洗脳」というのはあるのですけれど)思います。でも、それを前提として働きかけていくべきだとは思ってます。

○内心の自由の話。
これだけで話が長くなりそうなのでちょっと略させてください。
ただ、靖国神社について言えば、「宗教施設だから駄目」なのか「思想信条を想起させるから駄目」なのかは峻別すべきかと。

○国と国民について
命を大切にするということについては、国と国民では視点が違うと思います。
個人にとっての命は唯一無二のものですが、国にとっては1億数千万分の1なわけで、
最大多数の最大幸福ってのが国家とか組織の命題でしょう。
別に命じゃなくても私達もだれかに負担を強いて生きているわけですから。
命を大切にするのが国の最大の命題であるということを選挙の結果が語ればそうなるんだろうと思いますが。

というか、コレもいやな言い方をすれば民主主義も選挙も
少数意見を抹殺するシステムですからねぇ……。
ただ、そこで思考停止するんじゃなくて、マイノリティがメジャーになる努力はすべきでは?
とかもおもうのですよねぇ。

○選挙制度
現状がベストかどうかはわかりませんけど、選挙事務とかもみていると思うところは色々あります。


○エリートの世襲……について
傾向として、教育についてお金をかけられる家庭の子女がいい大学にいっているのは事実ですし、それはまぁ当然といえば当然の話ですよね。それは確かに問題でだからこそ公教育って重要なんだったり、田舎の公立高校の履修問題に繋がってきちゃったりするわけですが。それはそれで国旗国歌の話と関係ないので割愛します。
お金の事についてのみ言えば「甘えるな」と思ってます。正直言って。自慢くさいですが、私は中学校の頃に父が死んで母子家庭になってまして、結局都合500万近く奨学金借りて大学行ってました。今は給料からゴリゴリ引かれてるので困窮してますが。といってもこうやってブログ書く時間があるので、その辺は推して知っていただきたいところですが。
もちろん弟妹を抱えてたり、両親が病気だったりの理由で進学をあきらめることもあるわけで、それについて言えば、非常に不公平だなぁとは思いますけれどね。でもその辺役所の制度は担保してたりもしますけどね。そういう種々の制度を知らされてないってのは、問題だと思いますし、たとえば役所が支援してることの広報がへたくそだっていうのは反省点なのですが。

○教育について
全般的に教育について言えば、義務教育の間にもっと詳しく行政とか政治について語るべきだろうなぁとか思います。そういうことを考えさせる教育をしてないってのが、恐らく一番根深い問題かなぁと。

とりあえずこのくらいお答えさせていただきます。
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by tomo1y | 2006-10-18 19:13 | 日々思うこと
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