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「科学的に正しい」ということについて。

下のエントリについて、Flackさんに書いてもらったことは、見落としていました。
一部の差別では、その感情が強固になっていくときに誤った理論(※)で補強されているわけで、
それを解きほぐすためには、その理論や前提を打破しなければならなかったのだろうという指摘は
確かにそのとおりだろうと思います。

ただ、しつこく言えば科学的に……という論拠自体が現在の精神疾患とかについて
器質性のものがあったりするわけで、科学的に正しくないから差別が駄目だと言うレトリックが、
科学的に正しくない差別が駄目だ≒科学的に正しければ……
なんて風に流れかねないのかというのが個人的な疑問点と言うかなんというか。
実際。どうなんでしょうね。

また、科学的に正しくないことだから止めなければならないと言う反応が
私には極端に見えてしまいます。
六曜やら、吉日と言うものを大事にしたいと思う人はいていいんじゃないのかなぁと。
そういう考えを持っている人を「科学的に」とか「差別を助長する」といって
単純に斬って捨てるというのは道徳的に果たして正しいのか?
例えば宗教について、キリストの復活を信じている人を否定するのは良いのか?とか
もちろんキリストの復活を信じることが差別に繋がるはずも無いのですが(※)
ただ、キリスト教が、天国と地獄とかいう二元論的な世界観を内包しているのは事実で、
それは吉凶の考え方と、どこがどう、どのように違うのか差別について学ぶ中で説明をされていないわけで。

そゆのはいいのか?とか

差別と言うのは、多分に道徳的な問題で、
それに科学を、しかも乱暴な形で持ち込むのはどうなんだろう……と正直に思います。

さらに言えば、近代に比べて科学的知識が多くの人に身についているか……といえば、そうでもない気がしますし。
逆に科学と言うものが生活から乖離していっているようにも思います。
それも科学と言うか「科学的な思考」という点についてです。

職場で消費者問題関係の書類を良く見て、その中にかなり健康グッズなんかの話もあるのです。
それらが効くという根拠ははまったく科学的には用を成さないものに見えるのですが、

「教授」とか「理学博士」とか「実験」とか言う言葉でそれなりに「科学っぽく」見える。
なんて事で信じてしまっている人たちが大勢いるように思うのです。
ある認められた言説や論理に基づいて理論を構築するのは当然といえば当然なのですが……。

科学的に正しいことと、科学らしく見えることの間には大きな断絶があるんですが、
多くの場合「科学らしい」ものの方が多くの人に受け入れられるように見えもします。
有意なデータを取ることが必要なのは、かなり多くの職業に要求される事項なはずなのに、
実験の名に値しない「実験」によって真偽を確信するって言うのはどうなんだろう?とか

もうしょうじきわけがわかりません。


多くの場合は、理論の道筋が間違っている……というよりはその前提が間違っている。


十字軍がどうとかは怖いから言いません。今のキリスト教はずっと開明的かと。
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by tomo1y | 2006-11-16 21:18 | 日々思うこと
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