<< 家探し。 カメラを構える人 >>

それでもやっぱり分かりやすく伝えようとする人々。

理系白書’07:第1部 科学と非科学/2 教室にニセ科学

毎日新聞の連載から。
科学でないものが科学を装って教育の場に入っていくことに対する警鐘なのだろう。
……にしては、酷い記事だけれども。

関東地方の理科教師(52)は昨年秋、中1の教え子から提出された夏休みの自由研究を前に考え込んだ。

 カイワレ大根の成長が、人間の言葉の影響を受けるかどうかを調べた観察記録だ。二つの容器にほぼ同数の種をまき、同じ条件で育てる。「ありがとう」と声をかけた容器と「ばか」と声をかけた容器で、育ち方に差が出るかどうかを、生徒は2週間にわたって詳しく観察していた。

 「とうとう僕の目の前にも来たか、という気持ちでした」。教師が思い浮かべたのは、「水からの伝言」という99年に出版された写真集だった。

 写真集は「ありがとう」「平和」という言葉やクラシック音楽を「聞かせた」「見せた」水は美しい氷の結晶を作るが、「ばかやろう」やハードロックでは結晶が乱れたり結晶にならない、と主張。人の生き方や言葉のよしあしを水が教えてくれると説き、これを教材に授業をする教師も出ていた。

 生徒の観察記録は、発芽率や伸び具合を測定せず、外見を生徒なりに判断していた。観察記録の写真ではどちらのカイワレも同じように不均一に写っていたが、生徒は「『ばか』と言い続けたら、育ち方が不均一になった。言葉が成長に影響すると分かって驚いた」と結論づけた。

 「疑問を検証しようという意欲は評価したいが……」と教師。最後のページに「面白い実験研究です。ただ、言葉が物体に影響を及ぼすことはありません」と書き込んだ。


この教師を記事に出した理由はいったい何なのだろうか。
自由研究の内容に、個人的にはまったく問題を感じない。
生徒が疑問と思うことに自分で仮説をたてて、生徒なりに検証をしたという話だろうに。

確かに私も言葉が物体に影響を及ぼすことは、「無い」と思う。
けれど、それを検証しようとする努力については決して悪いことではない。
教師が指摘すべきは、生徒が不均一と「感じた」だけでは研究足り得ないことだろう。
どうやればそれが皆の共通の知識になりえるのか、研究の手法を教授することだろう。

ニセ科学には非常に問題が多い。
それを指摘していく動きがきちんと出てきたことは歓迎したい。
しかし、そのニセ科学を指弾する科学者の言葉を、何の判断もせずに受け入れることは、
多分科学者の本意ではなかろう。
[PR]
by tomo1y | 2007-02-10 13:50 | 日々思うこと
<< 家探し。 カメラを構える人 >>