2006年 01月 17日 ( 5 )

やさしさ(関係者向け)

やさしいとはどういうことだろうかと考える。やさしいということは、決して厳しいことと矛盾しない。厳しさと対立する概念は甘さだ。甘えさせることも一つの優しさのかたちだろうとは思う。しかし、一面で甘いことは無関心に立脚しているのではないかと思う。無関心という言葉でなければ、なんとなくナァナァでやっていこうとする気持ちに立脚しているのではないか。
誰だって人に嫌われるのはイヤだ。そして多くの場合厳しい人間のほうが甘い人間より嫌われてしまう。いつの間にかそういうことになってしまっている。だから甘えを許す人間が多くなってしまっている。

本当は違うと思う。

大学で応援団をしていた頃、何度か殴られた。理不尽だと思ったこともある。しかし、それはある意味ではとても勇気のいることだといつからか気づいた。暴力という明らかに好かれないであろう手段を使って私にかかわろうとしてくれていたんだろうと今では思う。怒ってくれた人にも同様に思う。
何度か同級生と喧嘩をした。お互いに泣く勢いで文句を言い合った、罵り合いというほうが正しいくらいに。今でも認められない部分はあるが、いつからかうまく付き合えていると思う。

厳しくあろうとすることはお互いにとってキツい。適当に嘘を混ぜているから人付き合いができるんじゃないかとも思う。でも、どっかで本気でぶつかる必要があると思う。それができる時期にそれをしないのはもったいないなと思う。

本気でぶつかれない理由を多く作ってしまっているからかもしれないけども。

もう離れたから、面と向かっては言わない。
[PR]
by tomo1y | 2006-01-17 19:19 | 日々思うこと

ニュータイプ

一人、知り合いの話。思春期の頃に父親を亡くし、おなかを痛めて生んだ子どもを一人亡くし、旦那もまだ高齢とはいえない年齢で亡くした人。今の日本じゃ割に不幸なほうでしょうが、本人は飄々と生きている。見た限りではそんなに不幸に思ってないんじゃないかとさえ思う。まぁ、実際のところはどうか分からないけれど。
例えば友人。名前の通った大学を卒業して大学院に在学中。大手企業に内定とか、大学を卒業して業界の中では有名な企業に就職して、海外に赴任中とかかなり優秀な感じだ。勿論優秀な面があることも知っているけど、彼らがそれだけでないことも私は知っている。誤解を恐れずに言えば馬鹿(※)だと思う。勿私の知らない面もたくさんあるだろうと思う。

そんなことを時々考えるからだろうか、人は分かり合えるものだという発想が好きではない。人のことなんてよくわからない。自分の事だってよくわからないというのが本当じゃないかと思う。それで世の中面白いんじゃないかと思う。

こういう思いが脚本にできないもんかな。


これは基本的にはほめ言葉。馬鹿になれる……というべきかも。
[PR]
by tomo1y | 2006-01-17 19:16

500系のぞみと甲子園球児

新幹線ってカッコいいと思いませんか?特に500系のぞみ別に鉄道マニアというわけではないんですが、500系のぞみは最高にカッコいいと思う。なんというか未来っぽくてカッコいい。初めて現物を見たのは大学の下見のときだから、8年ほど前になるとのだけれど、鋭く見える先端や、ドアの開き方を見たとき非常にしびれたのを覚えています。それは多分小さい頃の未来(※)がそこにあるような感じがしたから。
大げさに言えば、幼い頃に想像していた未来を17歳の私は500系のぞみに見たのだ。

身の回りをよく見れば、驚くほどいろいろなものが変わっている。子どもの頃は想像もしなかったようなものが現実になっている。例えば携帯電話を世の中の多くの人が持っていることなんて想像もしなかった。やっぱり現在は過去の未来なのだと思う。

翻って考えて、自分はどれほど成長しているのだろうかとよく思う。科学雑誌を読んで夢を見ていた小学校低学年のころと比べても。自分は何も変わっていないのではないかと思う。子どもの頃に見ていた25歳は、今の自分よりもっとずっと大人だった気がする。
しかし、500系のぞみに時間の変化を感じたように、いつだか高校球児に時間の変化を感じた。二十歳を過ぎた頃から高校球児が子どもに見えるようになっていたのだ。ひょっとするとそういう風にしていつの間にか大人になってしまっているのかもしれない。

そのうち力士やプロ野球選手も自分より若く見えるようになるのだろう……か。


宇宙ステーションやリニアモーターカーが現実のものになっているであろう未来。といった感じでしょうか。正直に言えばバックトゥザフューチャー2に出てくる浮遊型のスケボーとか絶対実用化されると思っていた。今考えると恥ずかしい気がしないでもないが、かっこよかったもんなぁ。
こういう想像が今現在の私の趣味とかに大きく影響を及ぼしている気がします。ガンダム好きなのとかこの辺が一つの遠因。
[PR]
by tomo1y | 2006-01-17 19:13 | 日々思うこと

スカイ・クロラ

森博嗣の本を読んだ。
大阪行きの電車の中で森博嗣の本を読んだ。ジュンク堂のしおりが挟まっているので大阪で買ったんだろう。1年以上は本棚に寝かしていたような気がする。森博嗣は初めてだった。
読んだ本は「スカイ・クロラ」という本。ミステリではない。1人称の小説で、ポツリポツリとしか世界が語られないので、どのような世界を描いたものかいまひとつ分からないのだけど、少年のまま死なない人々と、戦争に囲まれた世界の物語のようだ。以下、心に留まったことを列記。

・死なない人にとって記憶は別段意味をなさない。
・死なない人にとっては生きることこそが苦痛なのではないか。
・人を殺した手で、遊びもするし人を愛しもする。
・自分の手が汚れていないからと言って、人を殺していないといえるのか。

どちらかというと読んですっきりする本ではなくて、心の中に澱の様に溜まる本。嫌いではないけども毎日読み続けたい……とも思いません。たまには読みたいけれど。
文章は非常に淡々とかかれていた。人を殺すシーンも、食事をするシーンも同じ重みで書かれている。実際に人を殺すということはこういうことなのかな……と思う。
[PR]
by tomo1y | 2006-01-17 19:11 | 書誌

選択肢

日曜日の朝6時前、石橋でお酒を飲んでいたがそれも終わり、梅田あたりの漫画喫茶かサウナにでも行って仮眠を取ろうと思い、阪急電車に乗り込んだ。目の前には40絡みのおばさんと、おそらくその子どもさんであろう少年が並んで座っていた。二人で話をしながら何か読んでいるなと思って、本の表紙をちらりと見ると。有名中学校の過去問を確認しているようだった。至極当たり前の光景なんだろうが、少し驚いた。幸運なことなのか不幸なことなのか、私の田舎では中学校の受験をする子なんてほとんどいなかったからだ。
私は今地方に暮らしているくらいなので田舎が嫌いなわけもないが、それでも少し、中学校や小学校から受験を行うことのできる彼らが少しうらやましい。選択肢が広いということがうらやましいのだ。
私が小学校のとき現実的に選択できる学校は二つだった。公立と国立の二つ。当時私立の中学校は県内には無かったと思う。高校受験のときも事実上の選択肢はあまり多くなかった。漠然ではあるが大学にはいきたいと考えていたので、無難に高校を選んだ。もちろん留学とかの選択肢もあったのだろうが、それを選べるほど私の視野は広くなかった。
高校では折につけて進路を考えさせられるわけだが、基本的につぶしの利くコースを選ぶようにしていた。選択肢を減らしたくは無かったからだ。(※)
誤解や、嫌味だと取られることを恐れずに言えば、幸い私は勉強が得意だった。より正確に言えば大学受験のようなテストで点をたたき出す能力がそれなりにあったと思う。だからまぁ、選択肢を比較的つぶさずにいることができたというところがあると思う。何より家族がどこに行っても、何をやってもいいと思っていてくれたこともある。

話は変わるが、田舎を訪ねる番組などをテレビで時々目にする。それらの番組では田舎は人情味あふれる人が多くのんびりしていていいところらしい。そのせいかどうか分からないが田舎を田舎のままにしておくことを主張する人も多い。その考え方のすべてが間違いであるとは言わないが、地方に暮らす人間のことを本当に考えているかどうか、疑問を感る。
田舎の選択肢の少なさを彼らは知っているだろうか、と思う。無論田舎にあって都会にない選択肢も多いだろうし、単純に選択肢が多いから個人の資質にあった仕事を見つけられるとは言わないが、限られたところで、妥協をして選んだ選択肢よりは、自分が見つけ出した選択肢のほうが人を幸福にするのではないかと思う。だから私は、田舎をもう少し都会に近づけてもいいのではないかと思う。時間距離の面でも、お金と距離の面でも。

要するに、都会がうらやましいというだけの話なんだけど。


つぶしの利くコースを選んでいたはずなのに、いざというときにそこにとらわれてしまい選択を間違えたのではないかと思うこともある。選択肢を広げること自体は今でも大事だと思うけど、選択肢を広げることで見えなくなってしまうものもある気もする。
[PR]
by tomo1y | 2006-01-17 19:10 | 日々思うこと