2006年 01月 18日 ( 2 )

欠陥商品

猛烈に人を好きになったことが無い気がする。友人としてとても好きな奴とか、尊敬できる人というのはいるのだけれど。片思いにせよなんにせよ猛烈に異性を好きだっていうのがない。

映画や歌、小説の中には激しい恋愛が描かれいるものをよく見る。面白いと思う。でも何でだろうか、自分がそういう感情を抱いたことが無い。私はあの子のことが好きなのかなと思うくらい。人に聞くようなことではないので聞いたことも無いんだけど、人はどうなんだろうかと時々思う。
煮詰まってる時とかは、なんか私は欠落しているのかしら、とさえ思う。

別の部分での代償行為なのか、私は中学校や高校を舞台にした脚本を書きがちで、そうすると多分恋愛が登場人物の関心事なんだろうと思う。だからそういう話を書いてしまうのだけど、そこにあるのは記号に過ぎない。記号と言って悪ければサンプリング。かつて読んだり、見たり聞いたり体験したりしてインプットされた「恋愛」を私というフィルターを通して吐き出しているに過ぎない。嘘なんじゃないか……と思う。

私が我を忘れて恋愛することなんてあるんだろうか。一度くらいそういうことがあってもいいと思うが、この先も無いような気がする。子どもの頃は漠然と、大人になれば恋愛して結婚して幸せになっているんじゃないかと思っていたんだけどなぁ。どうやらここでも子どもの頃とは違う未来が現在になってしまっているようだ。
神様にリコール請求とかできないかな。


そもそも、こういうことうだうだ考えてるのが駄目という気もする。
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by tomo1y | 2006-01-18 19:50 | 日々思うこと

キャメラ。

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「似合わない」とよく笑われてしまうのだけれど、美学を学んでいた。なんだかあやふやなものに惹かれるからだ。生死や宗教、それから人間に興味があった。
日本語では美学と呼ばれる学問は、必ずしもその学問の全てを言葉が表していない。或る人によっては感性学と訳される。美学とは人の感情に立脚した学問である。美しいと思うのは感情であって理屈ではないからだ。その感情に理屈を見出すのが美学なのではあるが。

こんなことを考え出すようになったは、写真を撮り始めてからのこと。
心動かされる写真と、自分の写真の違いを考え出すようになってからのこと。

どうやら数を撃てば何枚かに1枚は好きな写真ができてくるということはわかった。機械であるカメラをコントロールする方法も多少は勉強してみた。でも本当に心動かされる作品はどうやってとられているのだろうと思っていた。何故或る写真に強く心を動かされるのだろうかと不思議だった。よく似た写真であっても、一つは凡庸に見え、一つはいいものに見える。
なんとなく思っていた。すばらしい写真を撮る写真家と同じ場所で、同じ被写体に向けて、同じカメラで、同じレンズで、同じ絞りで、同じシャッタースピードで、同じタイミングでシャッターを切っても同じ写真にはならないのではないかと。
実際のところこんな経験は無いのでどうなるのかは分からないけれど。

別段結論のある話ではないのだけれど、いつも自分の見た美しいものや感動した
ものを写真を通して伝えられないかなと思っている。
無理かもしれんけどさ。


写真はたぶん1999年の冬。初めてのカメラを買ってすぐ撮ってる気がする。カメラはちなみにLOMO LC-A
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by tomo1y | 2006-01-18 19:44