<   2006年 10月 ( 20 )   > この月の画像一覧

最近毎日更新してないのは。

身内に不幸があったとか、かわいい彼女ができたとか、そんなことではなくて。
GBA版(※)のFF5が楽しくてしょうがないからというような話。
言えばSFC版(※)のリメイクなわけで、今見ると古いんだけどね。
キャラクターにしたって多分16×16のドット絵なわけだし。

しかしまぁ、面白いんだこれが。
多分に懐古趣味といわれるんだろうし、それはそれで間違いじゃない。
上にも書いたけど、今の主流になっているポリゴンで表現されたゲームとは表現力も違うし
演出にしたってごくごく簡単なもので、情報量というのは圧倒的に少ない。
ただ、それだけに想像する余地があるというのもまた成り立つわけで……
RPGとしてはどちらかというと正しいのかなぁという気もする。

そもそも(※)RPGというのは「ロールプレイングゲーム」で、
要するにルールの整ったごっこ遊びというようなものである。
元はサイコロと会話で楽しむゲームなので、
むさいおっさんが絶世の美女を演じたり、50過ぎのおっさんが子どもを演じたり(※)もする。
まぁ、そういうものなので、あんまりあんまり型にはまって楽しむものでもない。

情報をすべて提示するというのも、知的好奇心を満たすものではあるのだけれど、
それよりさらに、どういうことなのかと考えることのほうが楽しいことなはずだ。
正直、ある種の変態(※)にとっては。

想像の余地が広いというのは本当に楽しいことだよね。

ちなみに来月またFF6が発売されるのよね。
多分買うだろうし、また猿のようにやってしまうような気がする。
問題はアレだ、エドガーがドリルで無敵(※)になるかどうかだ。

※GBA……Game Boy Advanceの略。なんというか今時の子どもはうらやましいのぅ。
※SFC……Super Family Computerの略。なんというか青春?の一部。
※なんというか、私「そもそも」とか「元来」とか好きだよね。うぜぇ。
※痛いとか言ってはいけない。そういうのを遊びとして楽しめる心の余裕ってのが大切ですよ。
※これはまた続けて書いてみる。
※SFC版のFF6の有名な裏技。登場人物のエドガーがなぜかよろいとして「ドリル」とか「オートボウガン」とかを装備できるという裏技で、それらの装備がえらい守備力が高い。ただ、考えると、よろいの代わりにドリルってどういうことだよ?とかいろいろ考えさせられる裏技。でもドリルってロマンだよね。ロマン。「ドリルがあるのか、無いのか。問題はソコだ」とシェイクスピアばりに考える大きなお友達は少なくないはずだぜぇ
[PR]
by tomo1y | 2006-10-19 19:53 | 日々思うこと

「教育って」様へのご返事(その二)

再度お答えしてみます。「教育って」様の発言の引用部は適宜改行しております。ご容赦ください。

>「教育委員会の内心の自由を強制」 と「教師の思想信条に基づく意見を表明」 と
>生徒にとって、どちらがより大きな影響がある思想の強制であるかという点については、
>見解が異なっているという認識でよいでしょうか。

そうご理解いただいてかまいません。私教師の思想信条が生徒に及ぼす影響のほうが恐ろしいです
まったくの個人的見解なのですが、私の経験として教育委員会がどうこうだから思想を……ということより、むしろ教師がある思想を持って教育をしていることのほうが、やっぱり生徒にとっては影響が大きいように思うのです。

>教師が、懲罰を持って、生徒に日の丸・君が代の掲揚・斉唱を強制することよりも、
>教師が、懲罰を持って、生徒に日の丸・君が代の掲揚・斉唱の拒否を強制することの方が、
>問題であるとお考えでしょうか。

そういう風に問われると、どちらの強制も同様に問題があるのでしょうね。それは理解ができます。
ただ、私の個人的信条の問題としては、拒否を強制することの方が問題だと思っています。
これは私が国旗とか国家を大切にすべきだという思考を持っているからでもありますし、
根本的に否定的見解を持って物事を眺めるという姿勢が好きではないからでもあります。

>独裁国家・一党独裁的国家の現実を見ても、国が押しつける「思想」の中でも、特に、
>「国」が統治者や現政権を国民の上位に置き、「敬う」「愛する」「尊重する」という価値観を強制することは、
>国民による国家運営者、現政権への批判をタブーにして、民主主義の根幹を揺るがすことにつながるものと感じます。

おっしゃられるご意見は理解ができるつもりでいます。
ただ「国」というものについての見方が私と「教育って」様で異なる部分があるのかなとも思います。
独裁と愛国心という二つのものの間には、確かにこれまでの歴史から考えてつながりのようなものがあるというのは理解できるのですが、私の個人的な意見としては必ずしもつながるものではないと思っているのです。
個人的願望として、国を愛するというところに立脚して政策などが論じられて欲しいと思っているというだけなのかもしれませんけれど。ここは正直に言って個人的意見の立脚点が違うのかなと思っております。

>どんな思想の強制もお断りですが、

正直に言って私はそう考えていません。
「常識」というのは非常にもろいもので、「命を大切にすべき」ということにしたところで、
状況によってあやふやになってしまうようなものです。
だからこそ、コンセンサスの取れるものについては押し付けてもいいのだと思います。
命を大切にすべきということは、普遍の公理ではないということはわかっているのですが、
だからこそ、根っこのところで押し付けちゃっていいのではないかと思うのです。

>そのように現政権の解釈次第で内容が変わってしまうからこそ、
>「一見、絶対的普遍的な価値観」であっても
>公権力は強制すべきではないと 思うのです。

公権力というのは、結局のところ「強制力」にあるのではないかなぁと思います。
ただ、その普遍的「らしい」価値観を選び取るのは選挙などの、民主的手法によるべきでしょうね。
で、民主的手法に従っている限りは、自分の意見と異なってても、その意見に従うべきというのが民主主義ではないかと思います。みんなが殺人は罪だと民主的に合意したのであれば、私が殺人もありえると思っていても、殺人は罪だという意見に服従すべきではないでしょうか。
もちろんその強制が恣意的なものであるのは大いに問題だと思うのですが。
ちょっとお答えになってない気もしますが。

話はそれますが、個人的には先の戦争の際に、一般市民は悪くなくて独裁と指導部が悪い……という見方は個人的には好きではありません。どの程度民主的であったかはわかりませんが、ナチスはある段階までは合法的に権力を獲得しましたし、日本にあっても戦争に向かっていく空気を作り出したのは一握りの人の話ではないと思います。戦前よりより民主的になったはずの今の日本で、もしも独裁を許すんであれば、それはそれで国民全員が責めを負うべきことかなぁとか、ふと思ってます。

>より大きな権力である「掣肘する機関」に対する、
>「国民の思想の自由を侵すな」というモラルの要求にも向けることは、
>より大きく国民の利益となるのではないでしょうか。

これについては同意します。
教育委員会には教育委員会の守るべきモラルがあるでしょう。
ただ、このモラルを守らせるのが裁判なのかどうかというとちょっと考えるのです。
もちろん裁判という手段に訴えることは国民の権利なんですが、
もっとも根本的に行政とか法律を変える手段というのは、民主主義においては選挙です。

役所の人間がこういうこと言うと嫌われますが、民主主義の社会で最終的な意思の決定者と責任者は住民です。教育委員会のモラルを要求することは、第一義的には選挙によって行われるべきことではないのかなと思います。個人的には教育長なりは公選制でもいいと思いますが……これは話の本筋に関係ないですね。
上にも書きましたが、結局住民なり国民なりがそういう人を選んでしまっています。それに反対するには、その人を選ばないという行動を起こすべきだし、その人が選ばれないようにより良い候補者を擁立するとか、その人を説得できるだけの何らかの活動を行うべきであろうと思います。

……正直に言えば、私が教師をなんとなく嫌いだから、こういうことを言っている気もします。
立派な先生がおられることも知ってはいるのですけれどね。
なんというか、自分たちが未来の有権者を育てる仕事をしていながら、
右傾化するとか、国家を愛することが=独裁という風に考える教師のスタンスが疑問なのです。
「俺の生徒だったら、国を愛するということがどういうことかきちんと判断できる」
くらいの事を先生に言ってほしいというように思うのですよね。

国を愛することを教育することと、右傾化とか独裁化とかってことは別に同義ではないはずなんですが、それをあたかも同一の事であるかのように喧伝するだけで、具体的にどういう国の愛し方が国をよりよくしていくものなのかというビジョンを示してくれない教師の人たちが(もちろん一部だとは思いますが)私は本当に理解できないのですよね。

私と「教育って」さんの間には、ある程度共有できる考えというのが何点かあります。
で、いくつかが違っているわけですが、それはそれでいいんだろうと思います。
というか、一緒であるほうが気持ち悪いですしね。

※労働三権について
私達公務員は多くの場合日本国国民であるわけですが、憲法に保障された権利の一部を制限されています。その最たるものが「労働三権」ということになります。
憲法28条には勤労者(つまり賃金労働者)に対して団結権・団体交渉権・団体行動権(争議権……いわゆるストライキの権利)が認められているのですが、公務員のほとんどがストライキをすることはできないとされています。要するに人権として認められているものの一部が制限されているわけです。
警察や消防、自衛隊などの職場にいたっては労働三権すべてが認められていません。
これ自体はある程度合理性があると思います。

他の人権についても、状況に応じて制限されることはありうることだと私は思います。
たとえば言論の自由といっても人を誹謗中傷することは許されませんし、プライバシーの問題もありますよね。人権というのは無制限に保障されるものではないでしょうね。

※無謬性について
行政は間違いを犯さないという、行政の面子にかかわる話……なんですが。
正直私自身理解ができていません。

==========以下コメントについて===========
正直にもう一つ言うと。長いです!挫折しそうです(笑)
というのは冗談として、なるべく簡潔に。

○教育委員会について
わかりにくいよといわれればそれまでなのですが、教育委員会は教育行政をつかさどる部署であって、「教育機関でも教育者でもない」というのが私の理解ですから。そして教育委員会は教員に対して指導助言と命令監督を行う組織ですので、細かく指導や命令があるというのは、当然といえば当然ではないかと考えています。(国旗国歌の指導より力を入れるべきことはあるでしょうけれど)

最近のいじめの問題とか履修の問題とかはまた別の話(重なる部分がないとは言いませんが)かなと。特に履修の話はどちらかというと現場で行われていることを「見逃して」いたんだと思います。恐らく意図的に。これはこれで話がなりそうなので割愛します。

>本音のところは、
>国家・国旗をないがしろにする教師は「非愛国者」であるから嫌いで、
>日の丸・君が代を強制する教育委員会は「愛国者」であるから好き、
>というような面もあるのでしょうか。

書いてませんでしたでしょうか。この問いに対する答えは肯定です。
「否定的な見解から物事を見るのは嫌い」ですし。

>思想を強制しても良い場合があることと、
>憲法の思想の自由の不可侵についての兼ね合いは、
>どのようにお考えでしょうか。

とりあえず一点はっきりさせておきます。国旗・国歌を「強制」する必要があるとは思ってませんので。それはさておき。「思想の自由は犯すべからざるものである」というのは一つの思想に基づくものだと思います。ちょっとずるい言い方ですが。ありとあらゆる意見とか思想というのは、誰かに強制することを望むものだとおもっているのが私の根っこにあるので。
思想の自由が不可侵たりえるのは、思想を持つ人が自由な発想をできるように教育をおこなうことと。思想を持つ人が自由であると能動的に自覚するからだと思います。

○思想そのものの強制の是非について
「そんなことはできない」というのが私のスタンスです。非に近いのかな?
或る特定の入力を行っても、それに対する出力は千差万別ですから。現実的にできないと(確かに「洗脳」というのはあるのですけれど)思います。でも、それを前提として働きかけていくべきだとは思ってます。

○内心の自由の話。
これだけで話が長くなりそうなのでちょっと略させてください。
ただ、靖国神社について言えば、「宗教施設だから駄目」なのか「思想信条を想起させるから駄目」なのかは峻別すべきかと。

○国と国民について
命を大切にするということについては、国と国民では視点が違うと思います。
個人にとっての命は唯一無二のものですが、国にとっては1億数千万分の1なわけで、
最大多数の最大幸福ってのが国家とか組織の命題でしょう。
別に命じゃなくても私達もだれかに負担を強いて生きているわけですから。
命を大切にするのが国の最大の命題であるということを選挙の結果が語ればそうなるんだろうと思いますが。

というか、コレもいやな言い方をすれば民主主義も選挙も
少数意見を抹殺するシステムですからねぇ……。
ただ、そこで思考停止するんじゃなくて、マイノリティがメジャーになる努力はすべきでは?
とかもおもうのですよねぇ。

○選挙制度
現状がベストかどうかはわかりませんけど、選挙事務とかもみていると思うところは色々あります。


○エリートの世襲……について
傾向として、教育についてお金をかけられる家庭の子女がいい大学にいっているのは事実ですし、それはまぁ当然といえば当然の話ですよね。それは確かに問題でだからこそ公教育って重要なんだったり、田舎の公立高校の履修問題に繋がってきちゃったりするわけですが。それはそれで国旗国歌の話と関係ないので割愛します。
お金の事についてのみ言えば「甘えるな」と思ってます。正直言って。自慢くさいですが、私は中学校の頃に父が死んで母子家庭になってまして、結局都合500万近く奨学金借りて大学行ってました。今は給料からゴリゴリ引かれてるので困窮してますが。といってもこうやってブログ書く時間があるので、その辺は推して知っていただきたいところですが。
もちろん弟妹を抱えてたり、両親が病気だったりの理由で進学をあきらめることもあるわけで、それについて言えば、非常に不公平だなぁとは思いますけれどね。でもその辺役所の制度は担保してたりもしますけどね。そういう種々の制度を知らされてないってのは、問題だと思いますし、たとえば役所が支援してることの広報がへたくそだっていうのは反省点なのですが。

○教育について
全般的に教育について言えば、義務教育の間にもっと詳しく行政とか政治について語るべきだろうなぁとか思います。そういうことを考えさせる教育をしてないってのが、恐らく一番根深い問題かなぁと。

とりあえずこのくらいお答えさせていただきます。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-18 19:13 | 日々思うこと

テレビ見てる

ゲツヨルっつー日テレの番組で、中国の雑技の特集をしてる。
いや、ほんと中国は恐ろしい国だのぅ(褒め言葉です。冗談でもなんでもなく)
伝統というかなんというか、日本人とはまた違ったマニアックさがあるね、アノ国は。

でその番組で取り上げられてたのは聴覚に障害を持った人が踊る
「千手観音」って踊りで、ソレはソレですごいんだけど、

その演者さんに対するインタビューの画面がキタ。
聴覚に障害がある人のインタビューだから、彼女は当然手話で応えていたのだけれど、
その1分ちょっとのインタビューを、字幕だけで、吹き替えもBGMもなしで突っ込んでいた。
……なんかすごい素敵な演出だと思う。
障害とかどうこう無く、ありのままに、必要な情報だけを足して映像を流すってのは勇気あるわ。
「今日のニュース」が終わって、日テレどうしたんだろうと思ってたがチョット見直した。

間が持たないとかって、中途半端なものをはさむことのほうが下らないんだよなぁ。
自戒自戒。

しかし中国の美人さんはホント美人だのぅ……。
ハニートラップに引っかかりに行かないと。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-16 23:11 | 奥深い世界

酔っ払いの戯言

酔うというのにも色々ある。
お酒を少し飲んで、ほほが温かくなるくらいのソレもあれば、
前後不覚。目覚めたときなぜ自分がココにいるのか分からないような酔い方もある。
それぞれそれなりに楽しいものだけど。

自分が酔っているのを客観的に見れるくらいの酔い方が好きだ。
ビール1杯や2杯じゃこうはならないし、といって呑みすぎるとまた「酔ってない」と思う。
楽しみは中庸にこそである。

そういう時に1人で夜の街を歩くと、上着を脱いだりして夜風に当たる。
酔っ払って熱くなった頭が冷めるのがなんとなく気持ちいいのだ。
足取りはそれなりに確か。タバコに火をつけるライターも震えたりはしない。
といって酔ってないわけでもないから、歩きながらぶつくさ言ったり鼻歌を歌ったりする。

ぶつくさ言ってると、こんな酔い方なら、いつもいえないような正直なことが言えるだろうと変なことを考えたりする。
例えば、ずっといえない謝罪だったり、誰かを好きだという本音の気持ちとか。
気色の悪いことにそういうことを呟いてみたりさえするのだ。

結局いくばくかの理性があるから、どうせ言ったところで酔っ払いの戯言だと
そう思われるに決まっていると、至極当然のことを思う。
見た目は所詮酔っ払いでしかないのだ。

しかし、本当に極偶にだけどそういう時に正直に、明け透けに言葉を呟いたりする。
正直なことを、素面で言うのが恥ずかしいのだろうなぁと思い知らされる。難儀なものだ。

しかしこう支離滅裂で益体も無いことを考えられるのも、中庸の酔っ払いの楽しみだ。
稀にしか見れませんが、そういう私を見た人は、適当に相手をしてくださいませ。

あー、酔った酔った。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-14 01:52 | 奥深い世界

荒くれものどもの宴。

昨晩の事。なんかねーちゃんの友達が遊びに来ていた。内訳。
・青年海外協力隊隊員×3
・留学経験アリの人
・海外旅行好きの母
・海外に行ったことの無い私。

肩身狭ぇぇぇぇぇぇぇ!まぁ、それはそれとして。

何だかんだと巡り会わせで海外に行ったことは無いのだけれど、やっぱり濃い生活をしてきた人の話を聞くのは楽しいものである。多分ブータンで生活してきた日本人の人なんて外務省関係とJICA関係除けばほとんど居ないだろうし。基本的にああいうことを求める人は社交的な人が多いので、結構人見知りの気のある私としては助かる。

なんか知らんけど「ハニートラップ」という言葉と「小姐(シャオジエ)」という言葉を覚えた。
どうでもいい情報だぜまったく。

追記
人はいろんな不幸なことを抱えて生きてるなぁと思う。
ちょうどその日の朝に聞いたチャップリンだかの言葉。
「人生はズームで見れば悲劇だが、ワイドに見れば喜劇である」
人が不幸だと感じているだろうことでも、ある意味ではドラマチックだと思う自分もいる。
でもやっぱりそれはその人の人生にとっては大きな大きな分岐点で。
結局全部そういうものを解決してくれるのは時間なんだろうと思う。
「時間が一番残酷で優しい」いろんな意味で恥ずかしい言葉だけど、染みる。

けれど自分の口が不用意なのは何とかできないかな。うーん。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-10 18:27

写真を選んでみた。

映画塾のスチール班のお仕事も佳境。日曜日に県民会館に集まって写真選び写真選び。
荷物も多いので車で県民会館に向かう。アホかと思うくらい天気が良いのでバイクでぶらぶらできればなぁと思う。真剣に思う。
集合時間のしばらく前に県民会館に到着。到着すると外には浜田省吾のコンサートの機材車が置いてある。どうもコンサートが行われるんだそうだ。浜田省吾がどんな歌を歌ってるのかが、どうしても思い出せない。なぜか頭の中で「壁際で寝返りうって~♪」と勝手にしやがれが流れ出す。それはジュリーだ。俺。
部屋の鍵を借りると応接室。知事の書とかが置いてある。妙にいい部屋で困る。そうこうしていると県民会館のかたがモニター用のテレビを持ってきてくださる。この日のためにモニターを頼んでおいたのだ。俺天才。でも実はパソコンからテレビ出力をかけるケーブルを忘れてくる。取りに帰るのはあきらめる。最悪。すいません。

とりあえず誰も来ないので心配だけど、電車で来る人を迎えに行く。車に乗ったときにiPodから変な音楽が流れないように設定したのは内緒だ。できるだけ明け透けに生きていたいと思うけれど、いくつかちょっぴり恥ずかしい曲が入っていないこともない。うふふ。
駅まで行ってみると、ちょうど改札口から人がゾロゾロと出てきている。時間的にはちょうど良かったようだ。人を待たせるのは得意じゃないので重畳重畳。でも「アレー、出てこないなぁ」とか思っているとなぜか待ち人が目の前に。多分蛙のつぶれたような声を出したね。多分。
県民会館に戻ると部屋には一人人が!良かった良かった。
とりあえずもう一人を待つのもあれなので、昼を食べに出かける。ソバを久しぶりに食べる。ちょうど連休の中日なので非常に人が多い。お堀端なんかも結構人が歩いていてぶらり歩きにはちょうどいい感じ。ソバも美味。

戻ってしばらくすると最後の一人も集合。昼からで良かったじゃん!
県庁と市役所を勘違いしていたというコメント。あるある。

ぼちぼち始めるけど私の所作の悪さもあって、なかなか進まない。
ちなみに外を見ると浜田省吾の入り待ちの人垣がすごいことになってきてる。どんだけ浜省好きなんだ、みんな。俺なんか浜省の印象はサングラスだけだよ。正直吉川晃司と区別がつかないよ。
パソコンが一台で一人しか作業できないので、テレビをつける。F1鈴鹿グランプリがやっていた。楽しいねぇ。ちなみにT-スクウェアが国家吹奏しているのにすこし感慨深いものがある。F1って感じだ。
事務局の人にお願いしてパソコン2台体制にする。やっぱりそうすると作業効率が上がる。素敵。
外を見ると浜省のファンが騒いでいた。どうもバックバンドの人の入りだったようだ。サングラスかけてないし。うん。みんな幸せだな。そう思って作業に戻るとミハエルがリタイアしとった。ショック。
実は後で他の映画塾の人も交えて飲みに行こうかなぁとか思っていたけど、時間的に厳しくなってくる。みんな適当に雑談しながらてきぱき写真を選ぶ。正直写真選びについては書くことが無いんだ。多分書いても面白くないし。

結局浜田省吾の入り時間は4時前くらいだっただろうか。すごい歓声に窓から覗き込むと手を振る浜省。いい人だ。いい人やん。

何とか10枚くらいに絞って事務局に引き渡せたのでよかよか。
ちなみに後で飲んでたのはなかなか有意義であった。うふふ。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-10 18:27 | 映画とか

デザインの楽しみ

昨日職場を出ようとすると、通用口に誰かがススキを置いていた。十五夜なんだ
そうだ。風流風流。
こういうことを意識して楽しむというのはいいものですね。まったく。

それはまぁ、それとして。デザインのお話。
学生時代にお世話になった先生によると、デザインという言葉は元は超越者の創意という意味だったそうだ。
美しくデザインされた何者かを見るというのは心地の良いものであるけれど、
「創意」ということを考えるとデザインの大きな楽しみは、どのような意図で作られているのか
それを感じて読み取ることでもあるように思う。(※)

で、意図がデザインに反映されるかという好例として、携帯用のゲーム機をあげてみようか。

今、私たちが手に取ることの出来るゲーム機というと、
ソニー製のPSP(Play Station Portable)
任天堂のNintendo DS

ということになる。どちらも携帯用のゲーム機であるということは同じだが、
デザインと、そこから見えてくる会社の意図というものは結構に違う。
どちらもおそらく一流という言われるであろうデザイナーが作っているもので、
それ自体のデザインの良し悪しというのはあまり無いかもしれないのだけれど。

1:メディア編
PSPはUMDといわれる光ディスクをゲームソフトのメディアとして採用している。
一方任天堂はいわゆるフラッシュメモリを採用している。
この違いは簡単に分かる。当然光ディスクのほうがデータ容量が大きいので
高品位の動画や、音声データーを大量にゲームに入れ込むことが出来る。
一方フラッシュメモリはデータ容量という点では劣るのだが、
光メディアに比べて圧倒的にデータへのアクセス速度が速い。

任天堂は一貫してストレスのないゲームを作るということを前提にハード開発を行っており、
その伝統をココにも見取ることが出来る。
ソニーは自らもコンテンツを持つ会社らしく高品位のデータにこだわっていることが分かる。

2:全体的な形状(特にディスプレイ周り)
ボタンの数などはそれほど大きく変わるわけではないのだが、
PSPに比べてDSが大きく違うのが、ディスプレイを2つ持っていることと、たためることである。
おそらくDSは「たためる」ということを強く意識して開発されているように思う。
……コレがなぜかといえば、液晶という部品がもっとも傷つきやすいからであろう。

PSPは専用のポーチを用意したりして液晶の保護を考えている。
一方DSはたたんで液晶を守るという方法をとっている。
優劣ではなくDSのほうは、簡単に鞄やポケットに放り込めるということを強く意識したデザインだ。
おそらく前段で述べたフラッシュメモリを採用したことにも同様の意図があるのであろう。

3:大きさ
大きさについてもPSPとDSでは一回り以上の大きさの差がある。
もちろんDSを開いた状態で見れば、面積的に大きな差はないのであるが、
閉じた状態で見ると圧倒的にDSの方が小さい。

ただ、ソレに伴ってPSPと比べてDSはボタンの大きさもかなり小さくなっており、
操作性の面では(少なくとも私にとっては)PSPが上回っている。
ただ、この操作性の問題は絶対的なものではなく、
おそらく使う人間の手の大きさというものに強く依存する問題であろう。
操作性を度外視して大きさのデザインが作られているとは考えにくいのだ(※)

どちらかというと、手の大きさのターゲットが違うのだ。
PSPはおそらく成人男性で
DSは子供とか女性向け。
絶対的なものではないだろうけど、多少大きさからはそういう意図が見える。

4:まとめ。
斯様にゲーム機を見比べるだけでも、そこには会社の意図というのが透けて見える。
PSPは完全武装の携帯用マルチメディアデバイスである。
ゲームだけでなくて、音楽や映像、そしてインターネットを楽しむことが出来る。
いろんな分野に子会社をもつソニーならではのゲーム機であろう。

一方DSはあくまでもゲーム機で玩具である。
もちろん各種の拡張を掛けることで、マルチメディアデバイスとしての使用も可能だが
ソレはあくまで「こんなこともできる」ということでしかない。
機能は必要最低限にして頑丈にしようという意図を見て取れる。

会社の文脈という点で見れば、
PSPはソニーの製品だし、DSは任天堂の製品である。
どこまで言ってもソレを感じさせるものを見るというのは楽しいものだ。

そして更に言えば、そういう見るだけでどこの会社だと感じられるような
プロダクトを作れる会社があるということはうれしいものだ。


まぁ、デザインに限らず絵や写真をそういう目で眺めるのももちろん面白い。


技術自慢として極限まで小さくするということはありえるし、
たとえばシリコンプレイヤーみたいに、放り込んで使えるものであれば
操作性を犠牲にすることも考えられるが、ゲームではやはり考えにくかろう。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-07 18:47

「教育って」さまへのご返事

>政治家や役人や親や教師や教育委員会など大人達は、
>知れば知るほど、大切にしたくなるような国作りをするべきではないでしょうか。

>>理想論ですが、国民のほとんどの人に愛されるものであって欲しいと思っています。
こんな風にも書きましたが、私も役人の端くれですから、それについては強く同意します。
どれだけできているかはわかりませんが、常々そうありたいと思っています。
では、私の意見についてお答えを。

まず一点。教育委員会が内心の自由を強制するような通達を出したことについて、
違憲であると判断されたことは、私も問題無いと思っています。
国旗と国家を強制することが、思想の強制につながりかねないという地裁の意見も
理解の範囲内ではあるのです。そこはまず確認させてください。
私が一番問題であると思うのは、彼らが【卒業式】という公教育の場で個人的良心を盾にすることです。

>「思想良心の自由は、これを侵してはならない」
>という憲法の条文を削除すべきとお考えでしょうか。
この問いかけについては全面的に否定します。これを含めて日本は愛すべき国だろうと思います。
もちろん、思想・良心の自由を謳う19条を削除する必要があるとは思っていません。
そうなのですが、教員の人に疑問を感じるのはこの19条があるからこそです。私の場合は。

話が少しずれますが、私は上にも書いたとおり公務員をしています。
個人的な思想というのはやっぱり多少偏りがありますので、共感できる人共感できない人いろんな人がいます。
で、個人として仕事を離れたところで付き合う人というのは、選んでいるわけです。
ただ、当然仕事の上ではそういうことはしないように自分を律していますし、しているつもりです。
公務員としての仕事をするところでは「個人的思想とか良心は制限される」と思うのです。
それは法に基づいて仕事をして、他者の思想良心を尊重するためには仕方の無いことなのではないかと。

憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」とあります
「保障する」では無くて「侵すべからざる」ものであるとされているのだと、私は解します。
憲法を擁護・尊重する義務を負うと憲法で定められ、そして職に就くときにそれを誓った人間としては
自らを律して人の自由を尊重する態度が必要なのではないかと思います。

私は、生徒の前で自分の思想信条に基づく意見を表明して
卒業式という場でそれを表明することは、上に書いた態度を持っていないと解しています。
だからといってそれを咎めるのに都教委や都が強制をするというのも考えどころですけれど。

個人の意見を持つことというのは当然の権利で、大切なことです。
しかし公務員であって公教育の場にいる人間は、それを表明することが
誰かにとってその意見を押し付けかねないということの自覚は持ってしかるべきです。

書かれているとおり、内心の自由というのは、その自由に発するすべての行動を担保するものではありません。
自分の思想に反対をする自由が他者にあることを認めなければなりませんし、
たとえば「特定のグループの人間は仕事ができない」という思想を持っているからといって
それを理由にある人をその仕事から排除することも許されないことです。
で、公務員はそう取られかねない行動は慎むべきではないかとと思います。
そこを考えていないように見えることが、私が彼らの行動を気持ち悪いと思うことの理由です。
実際、彼らの行動を見た生徒が影響を受けないということは考えにくいですから。
少なくともそれは教師が「私はこれこれこういう理由でこういう行動をしている」と明言した上で
行うべきことであることではないでしょうか?
もっと進めば、きちんとするために決まりごとには従うが「やはりおかしいと思う」と表明すべきだったのではないでしょうか?


少しはなしの矛先を変えて。
教師というのはある一定の価値観を語りえる職業だと私は思っています。
実際「命を大切にすべきだ」という教育というのは当然のように行われています。
「命を大切にすべき」という理念は別に物理の公式のように不磨の公理ではありません。
ただ、この思想はほとんどすべての人にコンセンサスの取れた常識であるのに過ぎません
(私もこの考えには同意しますし、非常に同意される人の多い意見でしょう)
これに反する思想を持っていることがいる可能性は排除できません。
けどまぁ、これを教えることについては問題があるといわれることは無いですよね。

で、私は私の思想に基づいて、国を愛するということも当然の事になれば良いなぁと思っています。
それは何も思想を押し付けろという話ではないつもりです。
多くの人が納得できる思想になればよいのではないのかと思っています。

国旗・国歌が日の丸と君が代で無ければ国を愛することができるというのであれば、
その対案を真剣に聞く用意というのはあるつもりです。個人としては。

こんなところでしょうか。お答えになっているか自信はありませんが。お答えにかえさせてくださいませ。

以下、さらに輪をかけて取り留めのない話です。

公務員の憲法上の権利が制限されているのは、たとえば第28条「労働三権」とかもありますよね。


国や地方自治体、つまり行政が過つものであるかどうかというところについては
無謬性という問題があるのでなかなか難しいところです。
きちんとお答えする自信がありませんので、お答えは差し控えさせてください。


国民が国という行政機関の上にあるからこそ三権分立とかあるわけで、
たとえば教員を掣肘する機関が教育委員会なのではないかとか考える部分もあります。
実際に国が暴走したときにそれを国民が止められるかというと難しいものだとは思います。
……だからこそ公務員に高いモラルが要求されるわけですけれど。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-06 18:06 | 日々思うこと

ゲームとかww

なんか知り合った人たちとゲームを作ることになってみた。
悩みどころは多いけど、楽しそうなので手伝ってみようじゃないか!

一応アドベンチャーゲームになるのかな。
しかし絵をかける人とかシナリオかける人とか音楽作れる人とか。
世の中にはいろんな人たちが転がっているものだねぇ。

何か一つぐらい芸を身に着けないとだわ。
妄想力は結構自慢できるんだけどなぁ。

とりあえずスクリプトかけるようになってみようか。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-03 18:39 | 奥深い世界

最近の査収物件(その1)

ヤマダ電機のポイントが結構たまってたし、給料日まで生き残れそうなので、
iPod買っちゃった。うふ。

80ギガとか使いきれるか正直自信ないですが、
クリックホイールの感度と、カラー液晶に感動した。
イヤホンはとりあえずそれなりのが一つあるし。
更にiPod買ってついたポイントで、保護ケースとか買ってみたしいい感じ。

しかし2万曲か……。たまるかな?

まぁ、実際1000曲も必要ないと思ってた割りにそうでもなかったからなぁ。
動画と写真もぶち込んでいけば、結構使いきれるもんなのかしらん。
[PR]
by tomo1y | 2006-10-03 00:16