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映画じゃねーな。

ルパン三世がスカパーでやってるので見てる見てる。
「ルパンは二度死ぬ」っていう、どっかで効いたようなタイトル。
今回はルパンが殺し屋に命をねらわれるわけだけど、タイトルどおり一回死ぬ。
そのときの次元と五右衛門のアクションが、ちょっとすごすぎる。
2人ともスゲーかわいい

そして今日のルパンはクールで残酷。個人的には赤いルパンが大好きです。
緑色のルパンも好きなんだけどねー。なんと言うか退廃的で。
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by tomo1y | 2006-11-28 21:55

給食ねたをいくつか。

「「心」説いた熱血校長体罰 給食粗末に憤り、奈良」Excite エキサイト : 社会ニュース

いや、校長先生が正しいから。どう考えても。
わたしゃ大食いだけど食い物を粗末にしないってのが矜持ですから。
食い物粗末にするのだけは許されまへん。
食べられないものがあるのは、しょうがないにしても……だ。

給食費払わぬ親たち お金あっても「頼んだ覚えない」

給食費が払われないと言う問題についての考察。
1:払われていない子どもについて給食を提供しない。
言いたくは無いが合理的な考え方だと思う。ただし問題は子どもがそれを受容できるのかどうか。
普通子どもが給食費を払っていると言うわけでもないし、子どもを人質にしていいのかどうかだ。
受益者負担と言う観点から考えれば妥当な回答のはずだけれど、感情的には理解しにくいか。
保護者にしたところで「本当に給食止めれるもんなら止めてみろ」と言っている人もいるようだ。
よく分かってらっしゃる。確かにそれはちょっとやれないと言えばやれない。
子どもが困るし、へたしたらいじめの原因になりかねん。

2:払われていないことを織り込んで給食を提供する。
要するに支払われている給食費でもって出せる給食を提供すると言う話。
当然量を減らすとか、食材の質を減らすとかで対応せざるを得ない。(※)
払い損になってしまうのだけれど、現在の自治体はこういう対応をとっているところが多いようだ。
きちんと払っている人の負担感を考えるとあんまり良い手ではないけれど、
払ってくれる人が圧倒的に多いからこういう手段をとっているのだと思う。
一部の先生やPTAでは建て替えて払ったりということもあるようだ。
子どもの事を真剣に考えている人が損をするとか、正直者が馬鹿を見ちゃいかんと思う。

3:そもそも給食制度自体をなくす・完全無料にする
見かけ上は正反対であるけども、対処の方法としては本質的に同じものであろう。
つまり『給食費』と言うものをそもそもなくすと言う考え方に基づく。ただ実際問題として課題は多い。
現在の給食には食育と言う役割が付与されているということもあるし、
一部、子どもの食事を考えていない親がいることを考えれば給食を廃止していいのか疑問だ。
そういう面では完全に保護者の負担は無しにするほうが合理的かもしれない。
コレにしても、住民の理解が得られるかどうかと言うのがネックになると思われる。

・考えるべき点
金銭的負担が難しいと言う理由で給食費支払いが出来ない家庭がどの程度あるのか?
⇒一定数あると考えられるが、所得等の要件を満たせば支払いの免除が受けられるのが通常
結局のところ問題点は負担を良しとしない保護者にどのような態度をとるべきかと言う話。

地域による子育てと言うことが言われて久しいが、それを広げて考えれば、給食費に限らず義務教育に係る負担を完全に無料化する(つまり税金で賄う)ことは妥当なように思われる。であるのだが、それが給食費を払わないと嘯く保護者がいると言うことから出発していいのかといわれると疑問を感じる。じゃぁどうすればいいのかと言われるとなかなか良い手が思いつかない。

良い手を思いつく人がおられれば教えていただきたい。


「参考:給食費についての大筋」
・給食費は保護者又は児童の負担とされている。
・給食費の使途は政令で定められており、一般に「食材」についての負担と考えて差し支えない。
・それ以外の費用、つまり給食センターなりの運営費・設置費・人件費については設置者(行政)負担
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by tomo1y | 2006-11-28 21:50 | 日々思うこと

図書館戦争:有川浩:メディアワークス

ここんところ読みふけった小説。
なんというか装丁とタイトルに引っ張られて、思いつきで購入した本。
よくよく見ると作者が、割と好きな作家さんだった……という話。アホか私。
テクニック的に万全ではないけれど、文章は非常に読みやすい。
そして、何よりもこの本は世界観が魅力的だったりする。

昭和の終わりに「メディア良化法」と言われる検閲を許す法律が出来た世界の話で、
以下にあげる『図書館宣言』……つまり、

第1 図書館は資料収集の自由を有する
第2 図書館は資料提供の自由を有する
第3 図書館は利用者の秘密を守る
第4 図書館はすべての検閲に反対する
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

という現実にも存在する『宣言』が法律になっているような世界。
こういうことが下敷きにあって、この小説の世界では
図書館は”武装して”図書館の自由を守るんだそうだ。なんだろうこの熱さ。
なんというか本読みとしては荒唐無稽だけど面白い世界なのです。
実際好きな本が買えないとなったら地獄だけどさ。
とりあえず、万引きの汚名をかぶってでも好きな本を守ろうとする主人公の気持ちは分かる。

ばかばかしい話……であるとはいえるんだけどね。
現実をカリカチュアライズして、世の中の雰囲気を切っているようにも思います。
なんというか、こういう『ありえない日本』っていう雰囲気は、バトロワとかとおんなじような気もする。
読書の自由のために人が死ぬって言うのはおかしいんだけど、
そのくらい強く示して考えさせるっていうのは、小説の重要な役割かなぁとも思う。

この本読んでも真面目な人は怒るのかな?
あんまり関係ないけど「バトルロワイヤル」読んで怒る人ってのもわかんないんだよなぁ。
確かに描写は残酷といえば残酷だから読みたくない人がいるのは分かるんだけど、
人を殺してハッピーみたいな話じゃないのは読めば分かることだと思うんだけど。
本やゲームの悪影響と言うのが良く語られるけれど、
そればっかりでもないし、それを心配して規制すると言うのは子どもを馬鹿にしてると思うし
保護者の影響力に自信が無さ過ぎるんじゃないかと思う。

関連して『図書館内乱』『レインツリーの国』を読む。満足。
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by tomo1y | 2006-11-25 21:26 | 書誌

Wiiを

ゲームも取り扱ってる古本屋を覗きに行ったらば、
Wiiの予約を取り扱っていた。……後先考えずに予約しちゃった。
まぁ、Wiiは安いのが魅力なので、何とかなるだろう~。
しかし今回の『次世代機』争いはいったいどうなるんでしょうか。個人的予想としては
一部で言われているのと同様に、最初はWiiが圧倒するだろうと思います。
安いって言うのもそうなんだけど、何より現状のテレビで十分な性能発揮すると言うのが大きい。
来年頭には全国で地デジが見れるようになって、ハイデフテレビも本格的に普及するだろうけど
2011年までは現状の640×480のテレビは相当数使われることになるだろうし、
PS3なんてフルHDが最高の出力なんだからかなりテレビ高いしなぁ……。

テレビの画質がそんなに気になるものだとは言わないけれど、
例えば360あたりをパソコンのディスプレイにつないだだけでもずっときれいになるもの。
どうせ持ってる性能ならそれを使い切りたいと言うのが人情だなー。PS3高いし。
いや、S端子すらろくに使わないような人間ではあるのだけれどさ。
どっちにせよ個人的キラータイトルが出るときにはPS3買うのは目に見えてるんだけど。

ごく勝手なことを言えばPS3はいいと思うんだけど、Wiiのほうに期待してる。
確かにゲーム業界の覇者が変わることはソフトウェア資産の面では問題が多いけど、
任天堂からソニーに覇権が移るときのゲームの多様化ってのは正直面白かったと思う。
任天堂がゲーム作るのが上手い会社だってのもあの時認識させられたし。
セガは相変わらずセガだったけど(※)

それにしてもPS3は高いね。子どもがクリスマスプレゼントに頼める値段でもないよ。まったく。
昔考えてたゲームとはずいぶん遠くに来てしまったねぇ。お金の価値も違ってるだろうけど。

ほんと、おじさんはいったいいくつになったらゲーム止めれるんだろう。
なんか一生ゲームと付き合ってる気がするよ。わが事ながら将来が心配だ。


いや、割引はちょっとあったけど俺定価でサターン買ったからね?セガ好きですよ。
闘神伝とVF見たらサターン買うでしょ……。
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by tomo1y | 2006-11-25 21:25 | ゲームとか

5万冊って多いか?

『5万冊の漫画本ずらり 京都にマンガミュージアム』Excite エキサイト : 社会ニュース
行ってみたいですなぁ。そのうち京都を訪れるときはぜひ行きたいもんです。
ですが、5万冊と言うのは少々少ないのではないのかと思います。
1冊500円としたらたった2500万円ぽっちですぜ?
まぁ、実際貴重な本もあるからそれだけじゃなかろうけど、
世の中に存在してるマンガは5マンやそこらじゃ効かないと思うんだが。

……えーと、一日に50冊くらいなら読めるから……3年あれば全部読めるわけで……。
そのくらいじゃアレだ!図書館と言うにはまだまだではないか。
いや、最終的にはたくさん入れるんだろうけれど。
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by tomo1y | 2006-11-23 19:17 | 奥深い世界

ゲーム作りのお手伝い。

縁あって知り合った人たちとゲームを作ろうとしてる、というのはエントリに書いていたのだけれど、
一応スクリプトをゴリゴリ書くのがお手伝い事項なので、エフェクトとかの確認をしてもらうのをかねて
テスト用のスクリプトを書いてみている。
まぁ、めんどくさいといえばめんどくさい作業なんだけど、普通のプログラミングに比べりゃ楽だし。
直ぐにどういう風に表示されるかってのも確認できる。面白くないわけではないのだ。
ゲームっつっても所謂アドベンチャーゲームで、優秀なノベルゲームエンジンを使って
簡単なタグを打つくらい部類なので私でも出来るわけだが。

とまぁ、それなりに打ちながら考えると、アドベンチャーゲームってのもわりと考えるべきことが多い。
映画なんかとは違って、どっちかというとシナリオは演劇的になるなぁと思う。
コレがノベルゲームまで行っちゃうと、ほとんど小説に出来るわけだけど、
テキストの雰囲気はノベルゲームとアドベンチャーでは結構違う。
ノベルゲームではグラフィックは挿絵程度のもので、本質的に必要なものではないのだろう。
地の文がかなり活躍するし、会話もソコまで説明的にはならずに済む。
アドベンチャーはそれなりにグラフィックにも重みがあるので、それらを生かすんだけど
その分地の文は弱くなる。主に会話を中心にして話が進んでいく。多分コレは非常に演劇的。
演劇と同じで目に見える情報が、完全ではないだけに会話でカバーしなければならないことが多い。
コレがムービーを持ってたり、リアルタイムな3Dグラフィックとか使えると
もっと映画の脚本見たくなるんだろうと思う。

しかし結構面白いね。映画を撮ることにかかわったときもアレだったけど、
ゲームを作るのに足を踏み出してみて見えることというのも結構にある。

しかし動的に文字を表示していくのってなかなか奥が深い。
考えてみれば視覚詩とかタイポグラフィの延長線上にもあるわけで、
学生してたときの研究テーマじゃない。
モーションタイプとかにも最終的には通じていくんかなぁとか思うわ。ホント。
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by tomo1y | 2006-11-23 15:29 | ゲームとか

価値判断と科学

毎度長くなってしまったので、エントリとして。

優生学が科学の名に値するのかというと、疑似科学であるという見方が大方らしいです。
ただ、それを科学的だと信じる人もおられたわけで、それを基にして差別が補強されたというのは
厳然たる事実としてありましたし、出生前の子どもの遺伝病を確認できる現代では
新たな問題が生まれつつある、もしくは生まれかねないのではないかと思ったりします。

なんというか、そもそも科学的な事実というのは、なんら価値判断を含むものではないと思います。
ただの事実であるか、事実らしい(※)ということだけではないかと思います。
それをどのように位置づけていくのかというのは、社会の常識や法律だったりするのだと思います。
で、人間が試行錯誤して研鑽していくべきなのはそれらの常識や法律という価値判断のはずかなと。

ただ、やっぱり科学的な事実が何らかの価値判断を示すものだと思っている人が多いのですよ。
もちろん「科学的に効能の示された薬」を信用できるものと判断することは多いです。
ただ、それは科学における事実が価値判断の大きな材料になるだけのことで……。
それですべて正しいとか間違っているとは言い切れないこともあると思うのです。
例えば、本当に科学的に実証されているのかとかはあまりにも無自覚に考えているんじゃないかと。
その薬が科学的に効果が実証されたと謳っていても、実は科学的な手続きを踏んでいないとか
もっと乱暴に言えば効能を台無しにしかねない副作用があるとか。
そういうところに関して、なんというか現代の人間がきっちり見つめられているか疑問です。

科学的になんら意味の無い実験をしてるテレビ番組を見て、食品がバカ売れしたりしますもん。
科学的に根拠の薄い優生学が受け入れられないとは言い切れない気がします。
それがマジョリティにとって「素敵な物語」を示すことが出来れば乗ってくる人がたくさん居ますよ。
心配のしすぎかなとも思いますし、人間の善性は信じてるのですが。

「迷信」については答えていただいて我が意を得たり!です。
忌日を避けるという考えは、確かに一方では出来る限りの形で祝いたいわけで。
あと、正直に言って仏滅はやめて大安に結婚式挙げなさいと周りの人たちが言ってくれたとして、
自分はそれについて怒るのかな?と。人権意識の無い男だといわれればそれまでなんですが、
悪気で言ってるわけではないと思いたいし、それでも都合が合わなきゃ仏滅で良いし。
「仏滅の結婚式だからでない」といわれれば、まぁそれは華麗にスルーするし、
アドバイスとして「そういうことを言うと、気にする人もいる」とは言うだろうし、
そのくらいの付き合い方ではまずいんだろうかと思います。
丙午の話は理由が分からんのですが、それを気にして結婚が出来ないとか贅沢な!ww
それでやめろって言われても好きなんだったらどうしようもないじゃねぇか。


科学的に事実といっても「ほぼ正しいと思われる」とか「その事実に反する自称は確認されてない」
見たいな事はいくつもあります。
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by tomo1y | 2006-11-22 00:54 | 日々思うこと

宇宙戦争

「宇宙戦争」H.G.ウェルズ 創元SF文庫
話の大筋は了解していたのだけれど、今まで読んだことが無かったので図書館で借りて読んだ。
最近トム・クルーズ主演で映画化されたあれの原作本。原題はThe War of the Worlds
theがついてるのにWorld"s"ってのが味噌なんだろう。sになってるのは恐らく地球と火星のことか。
爽快感のあるような小説ではない。基本的に人類は蹂躙されっぱなし。
主人公も度々「人間が火星人に捕食されるのは、自然の摂理かしらん」みたいなことを言う(※)
これをさして欧米の文明批判ではないかと見る向きもおられるんだそうだ。
とりあえず第二部の砲兵のコメントがなかなか興味深い。コメントだけだけど。

火星人がタコのような姿で描かれているのだけど、
これは人間の進化の先の姿を予見したものであるらしい。
「身体性」を脱却して「知性」がある種暴走したような姿として描いているのが、面白いかな。
そもそもタコを嫌うというある種の文化圏の影響もあるんじゃないかと思ったんだけど。
いつかのエントリでも書いたが、日本人なら食べる気がしないでもないです。

思ってたよりずっと読みやすかったので、簡単に読了。
確かに今の私の知識から言うと、チョット火星人ってどうなのよとかも思うけど、
作品としてどうかといわれれば、よく考えられた本だなぁと。


小説の形式が、主人公の一人称かつ後の回想の形をとっている。
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by tomo1y | 2006-11-16 21:21 | 書誌

「科学的に正しい」ということについて。

下のエントリについて、Flackさんに書いてもらったことは、見落としていました。
一部の差別では、その感情が強固になっていくときに誤った理論(※)で補強されているわけで、
それを解きほぐすためには、その理論や前提を打破しなければならなかったのだろうという指摘は
確かにそのとおりだろうと思います。

ただ、しつこく言えば科学的に……という論拠自体が現在の精神疾患とかについて
器質性のものがあったりするわけで、科学的に正しくないから差別が駄目だと言うレトリックが、
科学的に正しくない差別が駄目だ≒科学的に正しければ……
なんて風に流れかねないのかというのが個人的な疑問点と言うかなんというか。
実際。どうなんでしょうね。

また、科学的に正しくないことだから止めなければならないと言う反応が
私には極端に見えてしまいます。
六曜やら、吉日と言うものを大事にしたいと思う人はいていいんじゃないのかなぁと。
そういう考えを持っている人を「科学的に」とか「差別を助長する」といって
単純に斬って捨てるというのは道徳的に果たして正しいのか?
例えば宗教について、キリストの復活を信じている人を否定するのは良いのか?とか
もちろんキリストの復活を信じることが差別に繋がるはずも無いのですが(※)
ただ、キリスト教が、天国と地獄とかいう二元論的な世界観を内包しているのは事実で、
それは吉凶の考え方と、どこがどう、どのように違うのか差別について学ぶ中で説明をされていないわけで。

そゆのはいいのか?とか

差別と言うのは、多分に道徳的な問題で、
それに科学を、しかも乱暴な形で持ち込むのはどうなんだろう……と正直に思います。

さらに言えば、近代に比べて科学的知識が多くの人に身についているか……といえば、そうでもない気がしますし。
逆に科学と言うものが生活から乖離していっているようにも思います。
それも科学と言うか「科学的な思考」という点についてです。

職場で消費者問題関係の書類を良く見て、その中にかなり健康グッズなんかの話もあるのです。
それらが効くという根拠ははまったく科学的には用を成さないものに見えるのですが、

「教授」とか「理学博士」とか「実験」とか言う言葉でそれなりに「科学っぽく」見える。
なんて事で信じてしまっている人たちが大勢いるように思うのです。
ある認められた言説や論理に基づいて理論を構築するのは当然といえば当然なのですが……。

科学的に正しいことと、科学らしく見えることの間には大きな断絶があるんですが、
多くの場合「科学らしい」ものの方が多くの人に受け入れられるように見えもします。
有意なデータを取ることが必要なのは、かなり多くの職業に要求される事項なはずなのに、
実験の名に値しない「実験」によって真偽を確信するって言うのはどうなんだろう?とか

もうしょうじきわけがわかりません。


多くの場合は、理論の道筋が間違っている……というよりはその前提が間違っている。


十字軍がどうとかは怖いから言いません。今のキリスト教はずっと開明的かと。
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by tomo1y | 2006-11-16 21:18 | 日々思うこと

「吉日」について

先日職場で見かけた或る文章に「…年…月吉日」という文字があった。
それを机の上においていると「これはどうなんだろうネェ」という人がおられて、すこしその話をしていた。

吉日というからには、凶日というのも想定されるし、例えば大安や仏滅といった「六曜」と同じもので、
こんなものに「科学的」根拠はないし、それはつまり同和問題なんかと根っこが同じなので
使うべきではない……と、同和の研修なんかでは言われる。
穢れの思想なんかと同じで、対して科学的に意味の無いことを基にした差別で、
この差別に根拠なんて無いのだと、大体人権同和の研修では言われるわけだ。

そういうことがあるから、六曜に拒否反応を示す人がいるのを知っているし
吉日も同じように捉えられるというのはわかる。だから自分が文章を作るときに、
あえてそれらの事を入れて文章をつくろうとは思わない。
不愉快な思いをする人がいることをわざわざする必要は無いのだから(※)
ただ、この「科学的」に根拠が無いことだから、差別は……という話が好きではない。
例えば血の穢れにしたって、死者の穢れにしたって、「血」や「死体」というのが感染症を媒介する
ということを私達は知っているし、多分過去の人たちはそれを経験則として知っていたのだと思う。
問題は現在のように体系化された科学でなかったから、強烈に忌避されたのではないか。
過去の人を愚かであったと哂うだけでいいのだろうかと、先ず一つ思うのだ。

それから、科学的に根拠が無いことだから……という論法は、
いやらしい見方をすれば「科学的に根拠があれば」いいということになりかねなくていやだ。
人間それぞれの間に横たわる違いの中には、科学的に違うものもたくさんあるだろう。
けど、それに起因する差別は、科学的に違うから仕方が無い……と言うことは無いと思う。
乱暴で単純な言い方かもしれないけれど、差別ってのは自分がされる可能性もあることで、
非常にくだらないくせに人を傷つけるから、だからやめよう。
理屈がどうとか、理論がどうとかじゃなくて、やめよう。ではいかんのかな?と思う。

差別を使用とする心ってのはまったく理論ではないわけで。
たぶん、それを止められるものも理論ではないんじゃないかと思う。


事勿れ主義……かしらん
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by tomo1y | 2006-11-14 19:59 | 日々思うこと